"紅ふで" Diary
雲、、、コトバたちが空に流れていきます。

ラ・フォルテ
25日、友人に誘われてお食事とコンサート
の店、 ラ・フォルテ に出かけた。

三鷹駅からタクシーでワンメーター、バス通り
に面しているが静かで内装も素敵な空間であった。

イタリア料理で夏らしいさっぱりしたパスタに
前菜が2品、デザート、飲み物といったところだが
パスタコースで2千円、手ごろであった。

コンサートスタジオは地下で7時開演であった。
音大を卒業して間もない人たちの若さ溢れる演奏は
ピアノ、クラリネット、ハープのM&Mという
グループであった。

サマータイム、エブ・タイド、ドビュシー、ラベル
フォーレなどの軽めの曲目で、聴きなれた耳に心地
いい音楽は退屈もしないし程よく楽しむことができた。

最近は大きなホールへ出かけることも少なくなって
きたから、このくらいでちょうど良いなと思った。
だんだん、緊張感が持続しなくなり、大きな
コンサートだと疲れてしまうんだもの。

ラ・フォルテ では毎週、金、土、日のいずれかに
演奏会があるそうで、これからが楽しみである。

2008/08/27 (Wed) 18:13

近くにコンサートの店があっていいですね。田舎では望むべくもありません。若い頃に東急ゴールデンコンサートを聴きに行った記憶があります。指揮者は渡邉 暁雄でした。昭和33年か34年でした。場所は思い出せません。
残り少ない人生になりました。犬を飼っていることを口実に旅行から遠ざかっています。懐かしい東京と変貌した東京を見物してみたものと思っています。今年は是非とも実行しましょうかね。

by まさやん url 2008/08/27 (Wed) 21:21

まさやんさん コメントありがとうございます。
最近では都心のコンサートに行くことも少なく
なりました。指揮者の渡邊暁雄氏、なつかしいですね。
わたしも、かれの指揮で聴いたことがあります。
30年代で、日本人離れした方でしたね。
本当に残り少なくなったことを実感しています。
ぜひ、東京への旅実現させてください。
わたしも、もう15,6年熊本へ帰っていません。
懐かしい風景が目に浮かびます。

by 志帆 admin 2008/08/28 (Thu) 18:20

 





つれづれ
涼しさを通りこして寒いくらいになったきた。
冷たい雨も降り続いている。
洗濯物を干そうとベランダに出たら、あんなに
生い茂っていた夏草も衰えを見せ、力なく
うなだれているように見える。

今日は吉祥寺で友人とおしゃべりの予定
だったが、雨なので後日になった。
きのう、お見舞い返しが届いた。
「お返しはなしにしてね」と念を押したのに
義理堅いなあ。

熱中症で3週間ほど入院していたNさんだが
足の筋肉が落ちてしまって、怖くてまだ
外を歩けないという。
年を取ってからの入院は大変なのだ。

夏休みもオリンピックも終わる。
悲喜こもごものオリンピックだったけど
時の流れのなかでは、あっという間のできごとだ。

そこで考えた。4年後わたしはどうなって
いるだろう。果たして元気でいるだろうか?
ダメダメ、そんな弱気でどうするの。
もしかして一人暮らし? ダメダメ、そんなこと
考えては・・・

だれかも言っていたけど、いくら頑張っても
あと20年も生きられるわけじゃなし・・・
こうなったら、ねじを巻き直してもっと行動
しなきゃもったいないわ。

でも、Bさんが言った。
「一人で出かけるのが怖くて。出先で
倒れたらどうなるのかと思うと自信が
なくなったわ」と。

それもそうね。年を取ることは寂しいわよ。
どんどん可能性が無くなっていくのだもの。
だからって、このままおとなしくしている
訳にはいかないわ。
もう少し頑張ってみるわ。

電車やバス、街角などで出会う同じ世代の
人たち、どんな思いでどんな暮らしを
しているのだろうと、ふと思う。

2008/08/24 (Sun) 16:26

 





電話
うだるような暑さに身を持て余していたら、11時ごろ
Mさんから電話があった。

「毎日どうしてますか? 私はここのところ
落ち込んじゃって、ずっーと家にいるのよ。
他の人がみなしあわせに見えて・・」

「まあ、あなたが落ち込むなんて珍しいこと。
いつもパワフルに行動しているあなたが・・
わたしは又、お電話してもいないだろうな?
って思って遠慮してたのよ」

数日して、たまたま夫とS病院へ行った。
何気なく待合室に座っていたら、電話のMさんが
玄関の方からやってくるではないか!

大勢の患者だから、目線は前方を向く。
わたしは咄嗟に視線を落とした。
どうしてだろう。多分、夫と一緒だったからだろう。

だって、わたしが不在の時、彼女から電話があり
夫が出たらしいのだ。
後日、「ご主人早口なのね」なんて言われたばかり
なんだもの。

別に早口でもいいけど、面と向かったら
全人格を見通されてしまうような気がして・・
なにしろ、彼女のご主人は「東大」出だそうで・・

ああ、ものすごいスリルだったわ!
わたし一人だったら当然食事などして
盛り上がっただろうけど、その日はパスしたわ。

それにしても、こんなこともあるのね。
本当に冷や汗ものでした。

2008/08/22 (Fri) 21:39

 





糸遊び
糸遊びーー琵琶と語りとーー

と題する小さな催しがあった。
場所は 神楽坂・シアター・イワト
300人くらいの小さなシアターであったが、独特の
雰囲気があり満席であった。

朗読の会には2,3ど行ったことがあるが
琵琶を持っているかいないかの違いだなあと
思った。

琵琶は千数百年前に日本に伝えられてから今日まで
その演奏方法も語り方も変化を重ねてきた。

その日出品の名作についても、曲付け、音付けは
もとより、台本の作成まで演奏者自身が
行ったという。

当日の語りの中で、
源氏物語より  「朧月夜」
夏目漱石より  「夢十夜」の中から「第一夜」
が最も面白かった。

やはり、原作を読んでいると興味の持ち方が
違うし、より分かりやすいと思った。

非日常の空間と心地よい琵琶の音に、しばし
時を忘れた。

2008/08/20 (Wed) 10:19

 





ドームホテル
15日(金)は、孫娘の18歳の誕生日だった。
そこで娘たちとドームホテルに集合して
食事会を持った。

ホテルのロビーはかなり広いのに、人・・・・・の波。
家族連れで大混雑していた。
夏休み真っ盛り、その日はナイターがあるそうで
泊り客が多かったらしい。
タクシーのドライバーは「この時期、部屋を取るのは
かなり難しいらしいですよ」と言っていた。

遊園地もあるし若いカップルも大勢たむろしていた。
その混雑の中にいるだけで、わたしは元気をもらった
ような気になった。
子供たちのはしゃぐ声、元気に動き回る姿を見ていて
もう、5,6年前になるだろうか、まだ小さかった
孫たちと食事をし、遊園地で遊んだことを
思い出した。

その孫娘ももう18歳。
まだ幼なさを残している横顔は、未来を見据えて
いるかのように、きりりと引き締まっていた。
どんな人生が待っているのだろう。
平凡でも穏やかな日々であって欲しいと願うばかりだ。

たまには、非日常の空間に身を置くと日々の
停滞した思考が活性化するのを実感する。
ストレス発散に良い効果があるようだ。
だから、わたしはホテルが好きなのかな?

2008/08/18 (Mon) 18:20

 





重圧
北島選手が二冠を達成した。
見ているだけでもドキドキするのに、
本人はどれほどの重圧に耐えていたことだろう。
4年に1度のオリンピックで二大会連続、二冠を
得たとは、常人ではなし得ないことだ。

周りの外人選手のなんと大きいこと。
巨人みたいだ。
そんな彼らを下して金メダル。
すごい! 北島選手の精神力に脱帽である。

内村選手はまだ恐れを知らない19歳。
これからどんな活躍をみせるのか、大いに楽しみ
である。それも何と長崎だなんて・・

わたしの両親も長崎なので、余計応援してしまう。
おおらかな物怖じしない言動が、同じ長崎人
として分かるような気がする。

鈴木桂冶選手。
満を持して臨んだであろうに、敗退とは・・・
かれもまた、本人にしか分からない重圧に
耐えてきたのだろう。
その心を思うと言葉もない。

わたしはよく分からないが、モンゴル選手の
足を取る攻撃? あれも柔道なの?
と言いたくなる。

柔ちゃんだってそう!
三連覇はならなかったけれど、あんなに
小さいからだで全力を尽くしたであろう
彼女にこれ以上何かを言うのは酷だ。

はじめは、あまり期待していなかったのに
選手の全力を尽くす姿を見て
感動しきりである。

2008/08/15 (Fri) 18:42

北京五輪について、メダルの期待はあまりしないようにしようと思っておりました。
それは、開会式の異様な状況があったからです。
しかし、日本選手の頑張りには、惜しみない拍手を送りたいと思います。
北島選手は立派なものでした。
谷選手にも大拍手です。
メダルを取れなかった選手にも、予選で敗退した選手にたいしても、お疲れ様!と声をかけたいと思います。
とは言え、国威をかけたような某国には、とてもとても違和感を感じております。

by ひよどり url 2008/08/17 (Sun) 14:45

ひよどりさま
コメント有難うございます。
やはり全力を尽くす姿には感動しますね。
歳のせいでしょうか、涙もろくて困ります。
はじめは期待していなかったのに、今は暇があれば
夢中になって応援しています。
某国はどこまで信じていいのやら、対応が難しいですね。

by 志帆 admin 2008/08/17 (Sun) 18:07

 





これでいいのだ
きのう、友人3人で食事会を持った。

はじめはオリンピックの話で盛り上がっていたが、
いつしか、赤塚不二夫氏の「これでいいのだ」
の話になった。

「これでいいのだ」と割り切れる人はいいわよね。
そう簡単に思いきれないわよ。

「割り切ったほうが楽だし悩まなくて済むじゃない」
「でも、割り切る中身にもよるわ。何を以って、
これでいいのだと判断するのか難しいところね。
性格もあるし上昇志向だったら、そうそう
これでいいのだ とは言えないでしょう」

まあ、いろいろ意見があったが、人生それぞれ
だし比較のしようもないしね。
でもある程度自分の思いが達成できたら
きっと、人は「これでいいのだ」と思うだろうし
元気でいられると思う。

Aさんはいつも元気だ。いつもグループの
中心にいる。
きのうも、ひ孫のいる高知県に行ってきたと言って
お土産にブルーベリーのビン詰を持ってきてくれた。

わたしはいつも頂くばかりだ。
前にも書いたけど、頂くばかりではどうも気が重い。

「これでいいのだ」
「足るを知る」
表現は違うけど、ほとんど同じ意味を
持つのではないだろうか。

早く、「これでいいのだ」という心境に
なりたいなあ、と思うが生涯
無理かもしれない。
ということは、一生悩み続けるということ?
それもきついなあ!

本当に心から「これでいいのだ」と思って
いる人は国民の何%くらいなのだろう。

2008/08/12 (Tue) 17:22

 





夏休み
夏休みも半分が終わった。
今朝、娘から電話があった。
たまたま息子が居たらしく「電話代わる?」と言った。
「そうね、久しぶりだもの」
「もしもし・・」と低い声。いつの間にか中3になって
すっかり大人の雰囲気だ。

「おばあちゃん、きのう荻窪へ行ったのよ。
よくホームで待ち合わせしたわね。オヒル食べて
ルミネのおもちゃ売り場で走り回ってたわね。
おばあちゃん、なつかしくてさ・・」
「そうだね。もう随分行ってないよ・・」とボソボソ・・

小学校のころは毎年1週間ほど泊りがけで来ていた。
中学に入ってからは、野球の方が忙しくなり
なかなか時間が取れなくなってしまった。

あのころが懐かしいなあ! 私も若かったしパワー
があったから一緒に行動できたけどもう駄目・・

そうだ。思い出したわ。婿の運転で箱根、富士山に
つれて行ってもらったんだわ。
子供たちも小さかったから楽しかったなあ!

河口湖、白糸の滝、箱根の美術館、大涌谷などなど
そして、田貫湖の湖畔で泊まったんだわ。
2泊して面白かったなあ!

いろいろ連れて行ってもらったけど、富士山が
一番よかったなあ。青い空に雄大な富士山と
白い雲、心が大きくなるわね。

電車などで見かける小学生くらいの孫を
つれたおばあちゃん、うらやましいなあ・・

2008/08/10 (Sun) 17:28

 





クラシック
都内でタクシーに乗ったら、クラシック音楽が
流れていた。
「あら、クラシックなんてめずらしいわね。
わたしもクラシック大好きなのよ」

「この業界にはクラシックを聴く人なんて
いませんからね。モーツアルトの40番です」

「あら、ほんと。やっぱりいいわね。
で、以前は何をしてらしたの?」
「ええ、塾の講師です」

「え、塾の講師? どうして辞められたの?」
「少子化で潰れたんですよ。このごろは子供が
いなくなって、私立校なんか学校に営業部が
あるんですよ。
だから、選ばなければだれでも入れるんですよ」

「まあ、そうなの? 学校に営業部があるの?
びっくりだわ。世の中変わったわね。これから
どうなるのかしらね」

「わたしたちは恐らく年金なんて貰えないんじゃ
ないかと思ってますよ。国なんか当てにできません
からね。お上は自分たちのことしか
考えてないんだから・・」

わたしはなんとか、ここまで生きてきた。
人生ってこんなものよ、なんて言う自信はないが
取りあえずポジテイブに生きるしかないと思う。
英子さんがいつもこう言う。
「なるようになるわよって・・」

2008/08/08 (Fri) 22:33

 





食べちゃった。
昨日のように、また雷雨かもしれないから
今日は家に居ようと思っていたら、11時ごろ
愛子さんから電話があった。近くでランチでも
いかが? というものだった。

まあ、駅のちかくならいいいかなと思って
出かけていった。
今日のランチはうな重だった。千円だったけど
わたしたちには程よい量でまあまあ美味しかった。
宮崎産と書いてあったけど本当かしら?

そのあとお決まりの喫茶店へ・・・
いつもはこーひーだけなのに、ふと目についたのが
トースト。 ここのところ一応減量に努めて
いるから食べるつもりはなかったのに、どうしても
気になってとうとう注文してしまった。

彼女と半分ずつにしたけど、半分でもかなり
カロリーはあるわね。パンはごはんより高カロリー
だというもの。

ああ、食べちゃった!  いつもこの調子だから
なかなか思うように体重が減らない。
後悔しても遅いわね。

おまけに、帰りに食品売り場に行ったら、美味しそうな
枝豆があったの。めったに食べないからと
これも買ってしまった。

ああ、大変だ!  また、減量のやり直しだわ。
だから、あまり食品売り場には近寄りたくないのよ。
食べる量が減ってきたとはいえ、見るとつい
手が出ちゃうんだもの。

2008/08/06 (Wed) 15:18

 





高齢者の自殺
先日、こんな新聞記事をみつけた。
昨年の自殺者数が10年連続で3万人を超えた。
その内、60歳以上は過去最多で全体の36.6%
を占めるという。

近年、高齢者の独り暮らしや夫婦だけの世帯が
増えており、家族からも社会からも切り離され
孤立している人が多い。

そうした人が「老老介護」や貧困などで追い詰められ
自殺や心中、孤独死が増えている。

農村などでは、まだ地域のつながりが保たれて
いるが、都会のアパートなどで遮断された空間に
置かれ、経済的、心理的に追い詰められてしまう。

ところが、病院や施設に入って人とのつながりが
できると症状はスーッと消えてしまうという。
いかに人とのコミュニケーションが大切か
ということだ。
何といっても社会から孤立しないことである。

とはいえ、老年になってから個人的に人とつながる
のは難しい。逆に友人はどんどん減っていく
ばかりだ。

だから、高齢者を支えるためにボランテイアや
ヘルパー、ケアマネジャー、など活動の中心と
なる人材を育てることが急務である。

人は直接自分に関係ないことには無関心である。
でも、みな老いるのだ。
全体の3分の1にも及ぶ自殺者の現実は悲しい。

2008/08/04 (Mon) 10:21

 





八月
はや、八月である。
昨年6月他界した母は、存命ならば今日8月1日で
98歳になるはずだった。母は8月の太陽の
ように常に明るく元気で人生を駆け抜けた。

8月15日、終戦の日に孫娘が誕生した。
今年で18歳になる。泣き虫で甘えん坊だった
女の子が18歳だなんて信じられない思いだ。
孫娘は音大を目指しているが、どんな
人生が待っているのだろう。

終戦の年、わたしは小学4年生だった。
終戦の日は、家族5人 米子飛行場の官舎にいた。
その日のことは、あまり記憶にない。
ただ、ラジオの前で大人たちが膝をついて
ひれ伏していた様子がぼんやりと
目に浮かぶ。

翌年、父は逓信省を去り家族をつれて
ふるさと長崎へ帰った。
だが、9年後子供たちの大学進学のため
再び東京へ戻ったのだ。

その長崎時代、わたしは青春真っ只中
さまざまの思い出がある。
当時は貸し本屋が最盛期で、手当たり次第に
むさぼり読んだ。

クラシック音楽にも開眼し恩師との出会いや
初恋のひとK君に「付き合ってください」と
申し込まれたときは自分のことかと
信じられない思いだった。
今年10月、長崎で高校の同窓会がある。
今、思案中である。

戦後の混乱の中ではあったが、貧しくても
平和な家族の生活があった。

2008/08/01 (Fri) 09:37

お久しぶりです。僕の父は昭和12年宮崎に生まれました。その5年後母は鹿児島で生まれました。母はともかく父には戦争中の記憶が多少あったようですが、なにぶん田舎なのでそれほど切羽詰まった話は聞かなかったように思います。

それより志帆さんのお父様はお役人でいらっしゃったのですね。なんとも心苦しい限りです。
戦中はもとよりですが、戦後、人はどんなふうに立ち直っていったのか、どんな希望を持って生きていたのか、という話を自分の父や母lからあまり聞けずに離れてしまったので、そんな話も聞けるとうれしいです。

長崎から東京へ、少女から大人になっていく志帆さんの目にどんな日本が映っていたのでしょうか・・・まるで映画のようですね。



by battle-of-tokyo 2008/08/01 (Fri) 11:54

battleさん コメントありがとうございます。
ご両親は九州の方なのですね。それにまだお若いですね。
だからbattleさんは熱き心をお持ちなのかしら。

わたしは4人姉弟で女1人でしたが、父も母も
弟たちを出世? させるために熱き心で頑張っていました。
当時はそんな世相だったようです。
そんな中、わたしも男に生まれたかったなあ と思った
こともあります。

短大を卒業して、父の縁故で郵政省に就職しました。
当時、郵政省は飯倉片町に在りましたが、東京タワー
の建造中でよく散歩に行きました。
戦後復興の象徴のような気がして、楽しみに
見守っていたように思います。

結婚してからは書くことで仲間たちと交流して
きました。九州出身の両親から受け継いだのでしょうか。
なにか言わないでいられないのです。
わたしが何を言ってみてもどうにもならないと
思うのですが。

battleさんの熱き心を吐露したブログ、応援しています

by 志帆 admin 2008/08/01 (Fri) 21:26

 





内藤大助物語
テレビ「内藤大助物語」をみた。
最初から壮絶ないじめ地獄が画面を通して
伝わってきた。
水攻め、暴力の恐怖、そんな日々が果てしなく
続く・・・

こんな恐ろしい現実がまかり通っていることに
胸がつぶれる思いだった。
今日もどこかで陰湿ないじめを受けている
者がいる。かれらを救う手立てはない
のだろうか。

大助はチャンピオンベルトを手にすることで
そのくやしさを克服という名の勝利に変えた。
いじめがあったから克服できたとも言えるが
それまでの彼のこころの軌跡を思うと
もしこれが自分の子供だったらと、
言葉もない。
いじめは大人社会の縮図ではないか。

大助役の 伊藤敦史 がぴったり内藤に
重なった。
いくら役者とはいえ、あれだけの壮絶ないじめ
のシーンの連続・・・
肉体的にも相当なダメージだったのでは
ないだろうか。

歳を取ったせいか、世の中の不条理に日々
波立つこころを抑えることができない。

2008/07/29 (Tue) 16:54

 





介護士さんがやってくる。
番組 福祉ネットワーク「インドネシア人介護士
がやってくる」を視た。

8月、インドネシア人介護士が日本のお年寄りを
介護するために来日するそうだ。
現地では、看護大学で若者が日本語や介護方法を
学んでおり、日本での高い収入が魅力だという。

だが、来日後4年間で難関の介護福祉士の資格
を取らなければ、その後も在留できないことなど
情報の周知が十分ではないらしい。

それに、受け入れを検討する日本の施設側で
多額な出費などを理由に受け入れを断念
したところもあるという。

高齢化社会の中、単に人手不足解消を期待しがち
だが、当事者たちの思惑は複雑なようだ。

まず、他国に頼らず労働条件を改善して若者が
介護士として生活の安定が得られるように
計ることが前提ではないのかと思う。

情熱を持って介護士として就職した若者も
劣悪な労働条件、厳しい現実、生活の成り立たない
収入では離職してしまうのも当然である。

だれでも、みな高齢者になるのだ。
お世話にならないという保障はない。
外国人を受け入れる前に、介護士の労働条件を
即刻改善してもらいたいものである。

2008/07/26 (Sat) 10:02

 





何を頑張る?
孫息子が小学5年生のとき、「おばあちゃんも頑張るから
K君もお勉強も野球も頑張ってね」と言ったことがある。

その孫息子が後日、「おばあちゃんも頑張るって言ってたけど
何を頑張るんだろう」と、ぼそりと話していたことを
娘から聞いた。

その息子も今年受験生。中3になって「千葉経済付属」
を目指している。
かれは小学校入学と同時に少年野球チームに所属し
シニアを経て、これまで頑張ってきた。

親が無理強いしたわけではないのに、余程
好きなのだろう。だから、猛勉強ならぬ
猛特訓に明け暮れている。
婿はできれば勉強に力を入れて欲しかった
らしいけど仕方がない。

「千葉経済」に入学できたとしても、レギュラー
になるのは相当難しいらしい。
それでも頑張らなければならない厳しい現実が
待ち構えている。

頑張ります。頑張ってください。
頑張りましょう、なんて人は簡単に口にするけど
何事も結果を出すのは生易しいものではない。

孫息子が言ったように、おばあちゃん=わたしは
一体なにを頑張っているんだろう。
でも、確かになにかを頑張っているのよね。

これから、いよいよ孫息子の頑張りが
試されるときだ。
「おばあちゃん何を頑張るんだろう?」
と言ったかれを心から応援しようと
思っている。

2008/07/22 (Tue) 10:31